仏教の教えるところでは、自分のことを考えなければ考えないだけ苦しみから解放され、他者のことを考えれば考えるだけ幸せになれる。これが、最も本質的な大乗仏教の精神である。
そんなことは自分にはできない、と諦めてしまう人が多いに違いない。できなくて当たり前だ。これができなければ、仏教に入ったことにならないと言っているわけではない。発心することが大事なのである。それを到達目標にしようと決意することが大事なのである。それを実現するのは仏になるときであり、それはずっと先の話である。しかし、出発しなければ、そして正しい方向に向かって歩き始めなければ、目標に辿り着くこともない。「できないよ」、と逃げてはいけな い。お釈迦様は、われわれ人間に無理なことなど説いてはいないはずである。
福田洋一
※この文章は大谷大学教授の福田洋一先生にご寄稿頂いたものです。先生のご専門はチベット仏教哲学です。主にチベット仏教論理学を研究しておられ、東京で講読会も開催されています。本文は先生のブログ「チベットとコンピューターな日々」から転載させて頂いたもので、他にもためになる内容が盛りだくさんです。是非ご一読をお勧め致します。http://yfukuda.blog.so-net.ne.jp/