人材育成センターからのご報告

Mingalarbar!(ミンガラバー、ミャンマー語でこんにちは)

皆様いかがお過ごしでしょうか。

ミャンマーのイラワジ管区から活動報告をさせて頂きます、工藤です。
ミャンマーは先月から雨が止み、湿度がぐっと下がりとても過ごしやすい気候になってきました。
とは言っても、日中は気温が30度ぐらいまであがるので毎日半袖で過ごしております。

 

\人材育成センターに赴任しました!/

 

ミャンマーに到着して半年以上たち、やっと11月29日にヤンゴン事務所からイラワジ管区にある人材育成センターに引っ越してきまた。私の体験記を通して、ミャンマーで事業するということはいったいどんなことが待ち受けているものかということを少しご共有したいと思いブログに書き留めております。

 

時はさかのぼり、2021年6月

5月に渡緬し、他の職員2名と一緒にヤンゴンから車で2時間ほど離れたイラワジ管区のパンタノウタウンシップにある、人材育成センターに赴任いたしました。引っ越しも完了し、いよいよ研修再開の為に活動を再開するぞ!と意気込んで修所での生活をスタートさせました。一週間ほど経ち、スタッフがパンタノウの出入国管理事務所 (イミグレーション)に必要書類を提出に出向いた際、『外国人を地方ではホテル以外で居住させることはできない』。ということを突然通達されました。

2月のクーデター後、国内各地にて国軍と民主派の衝突が起きているのは事実でありましたが、研修所がある地域では大きな事件はなく、村人とも長期間プロジェクトを一緒にしているので問題なく住めると思っておりました。前村長、そして村長とも連絡を取り合い、村としては全く問題ないが、イミグレーションに今は逆らわない方がいい。というアドバイスを頂きました。同日に、元村長が一度警察に捕まってしまったり、研修所に「火がつけられるかもしれない」というようなとんでもないデマまで広がり、村人のことも考え一旦村から離れることにしました。車で30分ほどパンタノウにある外国人も泊まれるホテルに10日滞在し許可が出ることを祈りながら待ちましたが、結局ヤンゴンに泣く泣く戻るしかありませんでした。その後、イラワジ管区政府、そして管区警察署長、パンタノウ警察署、パンタノウのイミグレーションなど四方八方に許可をだしてくれと働きかけましたが、帰ってくる返事は毎度同じ。『上からの命令がないと動けない。』でした。

既にこの時一カ月以上たっていましたが、ここでめげては研修所に住むことができず、結果的に教員研修も行うことができません。私は、コロナとクーデターの影響により渡緬するのにも5か月かかりましたが、ここでやるべきことがあると信じ渡緬してきております。ここで諦めるわけにはいきません。

そこから更にカウンターパート先である教育省の担当者、教育大臣に直談判し、もう一度この研修の必要性を説きました。確かにミャンマーは今大変なときですが、ここで立ち止まっていては次の世代の若いリーダーを育成することはできません。一人でも多くのミャンマーの人々が自分自身としっかり見つめ合い、個々の能力を上げ、一致団結しより良い社会を築き上げていかなければなりません。その為に一番重要なのは質の高い教育です。その教育改革に貢献するために私はミャンマーに来たのです。

『上からの命令がないとなにもできない』といった地域政府の役人たちは、結局上からの指示が出た後も、協力的な行動をとってはくれませんでした。何度も同じ書類や手紙を提出させたり、少し進展があったのに当会には連絡がなかったり。あっちに聞け、こっちに聞けとたらいまわしにされること半年間が過ぎました。

もう一度、教育大臣とイラワジ管区の政府、そして管区教育事務所にこのプロジェクトの重要性を説明し、手紙を出すようにとお願いしたところやっと、私の滞在について『全面的な許可を出し、その責任も取る』という内容のレターが教育省から届きました。ここですべては解決したように思えますが、ミャンマーではまだ続きます。滞在地である、パンタノウのイミグレーションにYESと言っていただかなければなりません。

私はその手紙を手に、11月29日に通訳を連れ、研修所があるパンタノウのイミグレーションに出向き、再度滞在許可を出してくれるようにと頼みに行きました。イミグレーションのオフィサーは『滞在許可はもう出ている。しかし、私は責任を負えない。一応、パンタノウアドミニストレーションオフィス(区役所のようなところ)に行って、もう一度事情をすべて説明して、そこでも大丈夫なら、滞在しても良い。』と言われました。しかし、私たちは既にその事務局にも数日前に訪れて説明をしており、再度の訪問になることを説明しても、『とりあえず行った方がいい。彼らの方が上だから。』と、責任のバレーボールが最後まで続けられました。念のため、もう一度事務局へ行くと、『イミグレーションがいいと言ったならここに来る必要もない。』とだけ言われ、またイミグレーションにそれを伝え、やっと事なきを得ました。

 

そんなこんなでやっとの思いで研修所に赴任することができました。ミャンマーが現在平常時でないことは理解しておりますが、どんなときであれ『できないから諦める』、『私には関係ない』といった態度では、私たちはより良い社会を築くことができません。社会が発展するにつれ、またどんな社会にも問題が起こるのは当たり前のことであり、私たちはどうすることもできません。ただ問題に対し、どう対応するかは私たちの掌の中に選択肢があります。問題に対して、暴力や権力、お金などを使って一方的に、そして一時的に解決するのか?それとも、建設的に議論を進め最善の方法をみんなで考え抜き、問題を根本的に解決するか?ミャンマーが平和になるためには、どんなに難しくても後者の選択を取らなければなりません。赴任した直後のわずかな期間でさえも間見ることができたミャンマーの社会問題は長い歴史の中で積み重ねられたものであり、単純ではありません。しかし。ピンチはチャンスという言葉があるように、ミャンマーの先生達が少しずつ力を付け、よりよい教育を全土で広げていけるように活動してまいります。そしてこれこそが、ミャンマーが少しでも前進していく力になることと確信しております。

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